記事と筆者の信頼性
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フランス革命とは
フランス革命は簡単に言えば、「身分や職業などを平等にするための革命」。
フランス革命が起こった原因は、身分ごとに格差があることに、国民が不満を持っていたこと。
革命が起こる前、フランスの国民は「第一身分(聖職者)」、「第二身分(貴族)」、「第三身分(平民)」に分かれていました。
第一身分と第二身分は広大な土地を持っていて、重要な官職を独占する権利を持っていることも。
一方で第三身分は身分が高くなく、税の負担もあり苦しい生活を送っていました。
さらに第一身分、第二身分、第三身分の中においてもそれぞれ格差があり、不満の原因となっていました。
こうした状況下で、啓蒙思想(理性や科学的精神に基づいて合理的な知性を重んじ、無知を打破していこうとする批判的精神)が広がり、アベ=シェイエスが1789年『第三身分とは何か』で第三身分の権利を主張することになります。
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フランス革命の流れを解説します
フランス革命のスタートはバスティーユ牢獄で、終わりがナポレオンの統領政府の樹立。
「三部会」→「国民議会」→「立法議会」→「国民公会」→「総裁政府」→「ナポレオンの統領政府の樹立」という流れを抑えておきましょう。
ベースは教科書での勉強になりますが、教科書は難しく書かれているので分かりにくいと感じる人も多いはずです。
骨組みと難しい用語の解説をこれから書いていくので、こちらを参考にしつつ、教科書を読んでいきましょう。
三部会とは
ポイント
・フランスはイギリスと戦争をしていたため財政が厳しい状況
・国王ルイ16世はこの財政危機を乗り越えるべく、テュルゴーとネッケルを起用し革命
・革命の内容は、特権身分に税を課すというもの
課税に対して、特権身分は猛反発をします。
今まで税を免除されていたのに、課税をされたら反発するのも当然ですよね。
対抗するために、三部会を招集することになります。
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国民議会のポイント
三部会が招集されたは良いものの、議決方法をめぐり特権身分と第三身分が対立しました。
そのため第三身分は三部会から分離し、国民議会を結成します。
国民議会は憲法の起草を始めましたが、国王と保守的な貴族は武力で議会を弾圧しようとします。
パンの値上がりもあり、苦しんでいた民衆は「パリのバスティーユ牢獄を襲撃」。
国民議会は農村での暴動を抑えるため、3つのことが廃止されます。
廃止された3つ
①封建的特権の廃止
②領主裁判権
③教会の10の1税が廃止
①封建的特権の廃止→収入に応じた納税を定め、特権身分の免税の特権が否定されたこと。
②領主裁判権→領主が自分たちのルールで農奴を裁くことができる権利。
③十分の一税→農民が教会に収穫や畜産物の約10%を収める。
ラ=ファイエットが人権宣言を採択
国民議会が教会財産を没収し、ギルドの廃止、営業の自由を打ち出します。
市民が求める改革です。
一院制の立憲君主政を定め、国民議会は解散。
国王はヴァレンヌへ逃亡し、国民の信頼を失います。
ポイント
三部会で特権身分と第三身分が対立し、国民議会が成立。
国民議会は「封建的特権」や「領主裁判権」、「教会十分の一税」の3つの廃止など、市民に根ざした改革を実行。
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立法議会のポイント
立憲君主派と穏健共和主義のジロンド派の対立。
結果、ジロンド派が政権を握り、オーストリアに宣戦。
宣戦をしたけれど軍隊が弱小、オーストリア・プロイセン連合軍がフランス国内に侵入。
パリの民衆と全国から集まった「義勇軍」が、テュイルリー宮殿を襲い王権を停止。
これが8月10日事件です。
国民公会のポイント
国民公会は男性普通選挙で成立。
王政の廃止、共和制の樹立が宣言されます。
このことを第一共和政と言います。
急進共和主義のジャコバン派が力を握り、ルイ16世を処刑。(ジロンド派が穏健共和主義で、ジャコバン派が急進共和主義)
イギリス首相ピットは、フランスのこの革命がイギリス国内に波及することを恐れ、第一回対仏大同盟を作ります。
フランスは全ヨーロッパを敵に回します。
一方フランス国内でも農民の反乱が起きます(ヴァンデーの反乱)。
30万人規模の募兵に農民が激怒し、貴族や聖職者に率いられ起こした反乱です。
国内・国外においてフランスはピンチ
ジャコバン派は危機を乗り越えるべく、ジロンド派を議会から追放します。
一方で都市の民衆や農民の支持を得るための政策を実行。
1793年憲法などが教科書に書かれてありますがまず、ジャコバン派が民衆の支持を得る政策を実行したことを覚えましょう。
公安委員会を中心に急進的な政策を強行
ジャコバン派は民衆の支持を集める政策を実行しつつ、反対派を処刑するなどの恐怖政治を行いました。
アメとムチの政策を実行したと考えれば、理解しやすいです。
最終的にジャコバン派はパリの民衆の支持を失い、1794年7月、テルミドールのクーデタでロべスピエールは処刑されてしまいます。
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総裁政府のポイント
ジャコバン派没落後、穏健共和派が有力になり、1795年5人の総裁からなる総裁政府が樹立されます。
教科書には新憲法・制限選挙制などと書いてあると思いますが、「穏健共和派、5人、総裁政府」と押さえておきましょう。
一方で有産市民(第三身分の中の上の身分)や農民は既に利益を得ていたので、社会の安定を望んでいました。
ナポレオンの統領政府樹立のポイント
総裁政府は、イギリスがオーストリア・ロシアと第二回対仏大同盟を結び、フランス国境を脅かすことにより、国民の支持を失います。
ナポレオンが総裁政府の社会不安の中、軍事指導者として頭角を表します。
ナポレオンはエジプト遠征から帰国後、総裁政府を倒し、3人の統領からなる統領政府を立て、第一統領として独裁権を握ります。
これをブリュメール18日のクーデタといい、これにてフランス革命は終了します。
まとめると国民公会の後、総裁政府ができたが、イギリス・ロシア・オーストリアの第二回対仏大同盟により信頼を失う。
そんな中でナポレオンが登場し、頭角をあらわし、総裁政府を倒し、統領政府を樹立し、フランス革命終了。
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フランス革命の解説まとめ
ポイント
・身分や職業などを平等にするための革命
・バスティーユ牢獄で始まり、ナポレオンの統領政府の樹立で終了
・流れや出来事を整理して理解しよう
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