古代エジプトの流れ
古代エジプトは古代オリエントの一部として学習されることが多い地域です。
メソポタミアが開放的な地域で他民族の侵入が多く発生したのに対して、エジプトはナイル川付近以外の地域にはほとんど人が住めるような地域がなく、周りも海で囲まれていたため、他民族の侵入はほとんどありませんでした。
古代エジプトは小王国時代、中王国時代、新王国時代の3つに分かれます。
それぞれに特色があるのでしっかりと把握しておきましょう。
特色を把握しておけば、どの時代に何が起こったか覚えやすくなりますよ!
まずはなぜエジプトで文明が発達したのか確認していきましょう。
エジプトはのちの歴史家ヘロドトスによって、「エジプトはナイルの賜物」と評されます。
それだけナイル川の存在は、エジプトの繁栄にとって必要不可欠だったのです。
ナイル川は水源地帯に季節的に豪雨が降り、7月から11月にかけて定期的な氾濫を起こす川でした。
氾濫が終わった後、下流のエジプトには川が上流から運んできた肥沃な土地が出来上がりました。
ナイル川によってできた肥沃な大地でエジプト人は農業を始めました。
ナイル川流域で農業を始めたエジプト人はノモスという集落のようなものを形成します。
このノモスをまとめてエジプト統一をしたのがメネス王です。
メネス王は初代ファラオとなり、太陽神ラーの息子としてエジプトを統治し始めました。
ではいよいよ古王国時代に入っていきます!
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古王国時代(前27〜前22世紀)
首都メンフィス
古王国時代の文明
青銅器の使用、ヒエログリフ、ピラミッド、スフィンクス
ピラミッドを作った王
クフ王(←最大のピラミッド)、カフラー王、メンカウラー王
古王国時代といえば、上の3人の王が作ったピラミッドが最も有名ですが、3人はなぜピラミッドを作ったのでしょうか。
理由1 王が自分の力を誇示するため?
ピラミッドは王が自分の力の大きさを示すために作ったという説があります。
これは、ピラミッドがお墓のようなものではないかと考え、大きいピラミッドを作ることでそれだけ多くの人数を動員できることを示して、力を証明していたというものです。
理由2 ピラミッドは公共事業?
ピラミッドはエジプトの農民が農業をできない時期に建てられていました。
その時期、エジプトの農民は何もすることがなくなってしまい、生活が苦しくなってしまいます。
そこでピラミッドを作ることによって、農民を働かせ報酬として食べ物やワインなどを提供することで、農民を助けていました。
その後ファラオは力を落としていき、他のノモスが力を持ち始めました。
エジプトは荒廃し、死後の世界やオシリス神への信仰などの文化が生まれます。
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中王国時代(前21〜前18世紀)
首都テーベ
古王国時代において信仰されていたのは太陽神ラーでしたが、中王国時代ではテーベの守護神アモンが信仰されるようになりました。
宗教色の強い国になっていった中王国時代では、神の声を聞くことができる神官勢力が成長していきました。
ヒクソスの侵入
ヒクソスはヒッタイトやミタンニなどの勢力が力を伸ばす中で、それに押し出される形でエジプトに侵入してきました。
彼らは武力に優れエジプトに騎馬と戦車を持ち込みました。
一度はエジプトを支配したヒクソスでしたが、ヒクソスの技術を取り入れたエジプト全体が協力してヒクソスを追い出しました。
ヒクソスの支配がもたらしたもの
エジプトは閉鎖的な地域でオリエント世界から孤立していましたが、ヒクソスの侵入によって西アジアとも交流を持つようになりました。
また、ヒクソスの軍事技術、戦術を取り入れ、エジプトを軍事的に強くしていきました。
新王国時代(前16〜前11世紀)
中王国時代が宗教色が強い時代だったのに対して、新王国時代は軍国主義的な色合いが強い国になっていきます。
今までは国内で政治や催事をするだけだったファラオも将軍として軍を指揮することもありました。
トトメス3世
トトメス3世は「エジプトのナポレオン」と言われるほど軍事に優れており、エジプトの最大版図を獲得しました。
首都遷都
新王国時代では首都は中王国時代と同様テーベでした。
しかし、トトメス3世の活躍により、ファラオの力が強くなり、神官たちとファラオは対立していきました。
そこで、アメンホテプ4世は神官たちが力を持っている首都テーベからテル=エル=アマルナに遷都します。
それに伴って、テーベの守護神アモン=ラーからテル=エル=アマルナの守護神アトンに信仰の対象を移します。
これによって、アモン=ラーを信仰していた神官たちの権力を削いでいきます。
また、アメンホテプという名前もアモンを崇拝する者という意味だったので、イクナートンというアトンに愛される者という意味のものにかえました。
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アマルナ美術
エジプトでは神官の力が強く、宗教にあった芸術が認められてきましたが、首都が変わったことで芸術家は今までとは違う新しい芸術を作れるようになりました。
ラムセス2世の活躍
ラムセス2世はヒッタイトに奪われたシリアの回復のため、ヒッタイトへ侵攻しました(カデシュの戦い)。
カデシュの戦いは世界最古の国家間条約によって停戦しました。この条約ではお互いの領土不可侵、相互の軍事援助などが取り決められました。
その後、ラムセス2世はカデシュの戦いを記念してアブシンベル神殿を建造しました。
アブシンベル神殿はのちに世界最初の世界遺産に登録されました。
高校世界史の古代エジプトの概要と勉強法のまとめ
古代エジプトの勉強ポイントは古王国時代、中王国時代、新王国時代でそれぞれ国の性格が異なることを把握することが重要です。
しっかりと勉強して抑えておきましょう!
また、年表を作って視覚的に覚えることも有効です!
色々と情報を書き込んで、年表に一元化してしまいましょう。
そして地図問題としては首都の位置が頻出です。
しっかり資料集などを確認しておきましょう。
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