奈良時代の概要
奈良時代とは、文字通り奈良に都があった時代を指します。
その都とは平城京ですね。
710年に平城京に遷都されてから794年に平安京に遷都されるまでが奈良時代になります。
それでは、奈良時代がどのような時代だったか、そのイメージづくりをしましょう。
奈良時代ですから、“大仏”のイメージはあるのではないでしょうか。
この大仏は聖武天皇が造るように命じた大仏です。
743年の大仏造立の詔により造立がスタートし、聖武天皇の娘の孝謙天皇が開眼供養を行い完成しました。
なぜ聖武天皇が大仏を造ろうと思ったのか、大仏を造ることで何が起こったのか、これらを学ぶことで奈良時代の多くのできごとが繋がっていきます。
奈良時代のキーワードは「為政者の変遷」「鎮護国家思想」「律令制」です。
この3つを意識しながら、奈良時代のできごとを追っていくと理解が深まります。
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為政者の変遷
奈良時代には実質的な権力者が相次いで登場します。
その時の天皇に信頼された人物が、政治力のない天皇に代わって権力を持っていきます。
為政者の変遷をまとめると次のようになります。
☆藤原不比等 → 長屋王 → 藤原四子 → 橘諸兄 → 藤原仲麻呂 → 道鏡 → 藤原百川
これを見て何か気づくことはありませんか。
藤原氏とそれ以外の人物が交互に登場していますね。
これは偶然ではなく、非常に大切なポイントです。
奈良時代は、「藤原氏と反藤原氏の政権争いの時代」と捉えることができます。
藤原氏が権力を握っている時には、藤原氏以外がそれを阻もうとしますし、逆の場合には逆のことが起こります。
「長屋王の変」「藤原広嗣の乱」「橘奈良麻呂の乱」「恵美押勝の乱」「宇佐八幡宮神託事件」などは、その具体例です。
またこれらの為政者の背後に天皇の姿が見えるといいですね。
元明天皇、元正天皇、孝謙天皇、称徳天皇(孝謙天皇と称徳天皇は同一人物)は、女帝です。
聖武天皇や淳仁天皇は為政者の言いなりになってしまうような天皇です。
つまり奈良時代は政治的な前向きさは薄く、天皇も為政者も自分の権力を保つことに目が向いているのですね。
その後律令制が崩れていく要因も、奈良時代の政治にあると言ってもいいでしょう。
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鎮護国家思想
「鎮護国家思想」とは、仏教の力を借りて国家を安泰にしようとする考え方。
この思想にどっぷり漬かっていたのが聖武天皇ですね。
本来、奈良時代までの日本の仏教は、国家を守るためのものであり、個人を救うという本来の仏教精神とは離れたものだったのです。
ですから、行基のように貧しい人たちのために慈善事業を行う僧侶は異端視されました。
この時代は“僧侶=公務員”なのです。
ですが、聖武天皇はあまりに鎮護国家思想にハマりすぎて、大仏造立にこだわるようになります。
その結果、行基の力も借りるようになったのです。
聖武天皇がこれほどまでに鎮護国家思想に傾倒したのは、「長屋王の変」が大きな要因。
藤原四子の策略に踊らされ、長屋王を、自分の息子を呪い殺した犯人と思い込み処刑するように命じてしまいました。
その後、藤原四子たちは天然痘という伝染病により全員亡くなってしまいます。
それを見た聖武天皇は長屋王の祟りに怯えるようになるのです。
このような個人的な理由から、長屋王の怨念を振り払うように鎮護国家思想にのめりこんでいったのです。
聖武天皇は短期間に都を何度も遷していきますが、それも長屋王の祟りから逃れるためです。
☆平城京 → 恭仁京(741) → 難波宮 → 紫香楽宮(743)→ 平城京
このように都を転戦しながら、最終的には平城京に戻ってきます。
結局どこにいても長屋王の霊から逃れることはできなかったわけです。
ですから恭仁京では「国分寺建立の詔」を出しますし、紫香楽宮では「大仏造立の詔」を出すわけです。
律令制
701年にせっかくできた「大宝律令」でしたが、奈良時代に入って早々にそのシステムに亀裂が生じます。
“口分田の不足”ですね。
「公地公民制」と「班田収授」は律令制を成立させるための前提条件。
それが崩れ始めるのですね。
班田収授を維持するために、長屋王は「百万町歩開墾計画(722)」や「三世一身法(723)」を出します。
しかしその政策が「公地公民制」というもう一つの原則を揺るがすことになりました。
そして聖武天皇が出した「墾田永年私財法(743)」により、それが決定的なものになります。
“荘園制”が始まるきっかけを作ってしまったのです。
では、なぜ原則を崩してまでこの法令を出したのでしょうか。
「墾田永年私財法」が出された年と、前述した「大仏造立の詔」は同じ年に出されていますね。
これは偶然ではなく、大仏を造るための労働力と資金を豪族に負担させるためのアメとムチです。
奈良時代の流れと勉強法まとめ
奈良時代は登場人物が多いです。
しかし覚えることが多いと悲観的に捉えてはいけません。
登場人物が多ければ、そこに多くの思惑や感情が存在します。
そこに思いを馳せながら、一つ一つのできごとをドラマとして追っていくことが理解につながります。
奈良時代は近現代に比べて史料が少ないので、それぞれのできごとを理解するための人間関係はシンプルです。
実際はもっと複雑なのでしょうが、それを知る材料が少ないのでシンプルに扱われることになります。
ですから、「天皇」「藤原氏」「藤原氏に対抗する人たち」の3つの視点を常に意識することが大切ですね。
① 藤原不比等とその子どもたち VS 長屋王
② 聖武天皇とそれに振り回される橘諸兄
③ 孝謙天皇(称徳天皇)とその恋人たち(藤原仲麻呂、道鏡)
上の①~③は、政治の背景にある、たくさんの人たちの心の動きを感じられる内容です。
それをベースに奈良時代全体のイメージを作り上げることが効果的だと思います。
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