明治維新とは
江戸時代から明治時代へ
日本の歴史の中で最も劇的に変化した時代。
江戸は東京と名前を変えます。
東京遷都ともいいますね。
それに伴い、天皇の住む所(皇居)も京都から東京に移ります。
現在の皇居は東京にありますよね?
でも歴史上、天皇はずっと近畿地方(特に京都)に住んでいたので、東京の中で住む所を新たに作らないといけないわけです。
そのベースとなったのが江戸城なんですね。
あの無血開城された江戸城を東京城と改称し、天皇の居城としました。
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武家政権から天皇を中心とした近代国家へ
ここからは長く続いた武家政権から脱却し、天皇を中心とした近代国家を目指すことになります。
でも、鎖国が200年以上も続いたせいで、日本は海外から大きく置いて行かれてしまったのです。
そこで、その遅れをできるだけ早く取り戻す必要がありました。
明治新政府は、物も思想も根っこから変える気概でスタートします。
まずは天皇が神に宣誓する形で、新しい方針を発表。
「五箇条の誓文」ですね。
もちろん、その原稿を作ったのは天皇ではなく、由利公正と福岡孝弟です。
由利も福岡も坂本龍馬と縁がある人物で、龍馬の影響を受けた人です。
彼らが起草した(原案を作った)ものを、木戸孝允が加筆・修正しました。
彼は、薩長同盟を結んだ桂小五郎です。
改名したんですね。
五箇条の誓文の内容は、「公議世論の尊重と開国和親」を目標にしますよということです。
何でも話し合いで決めること、外国とうまくやっていくことを2本柱にしたのです。
これは江戸幕府とまったく逆の発想ですね。
江戸時代は「将軍の命令は絶対」、「外交はしない(鎖国)」ですから。
ただし、同時に国民に出された、「五榜の掲示」は江戸時代とほとんど変わりませんでした。
「キリスト教は禁止」だとか「一揆は起こすな」とか禁止事項がたくさんありました。
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新しい政府システム「太政官制」
「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」という五箇条の誓文の1条目は覚えておきましょう。
「広ク」の部分が木戸孝允の修正した部分です。
この誓文に沿った、新しい政府システムを「政体書」で規定します。
新しいシステムとは「太政官制」です。
これって昔あった律令制(二官八省)をベースにしています。
「太政官制→三院制→内閣制」と変わっていくことになります。
多くの人はあまり意識していませんが、「太政官制」は実はすごいシステムです。
天皇であったり、将軍であったり、これまでの日本の歴史では必ず強力な権力者がいました。
職制のトップには必ず1人の権力者がいたのです。
権力者の意向によって、国の方向性が決まっていました。
しかしこの太政官制は違います。
天皇は特別な存在としていますが、実際の政治は議論を中心とした、三権分立(不十分ではありますが)のようなシステムです。
これぞ「明治維新」の魂を形にしたものなのです。
「幕藩体制」を壊す「廃藩置県」
新政府は、中央組織づくりと並行して、江戸時代の基本だった「幕藩体制」を壊す作業に入ります。
幕府はもうなくなっているので、諸藩の解体がメインです。
各藩には藩主がいて、それに仕える藩士や庶民がいます。
1869年(明治2年)、各藩の土地と人民を天皇に返還する「版籍奉還」を行い、さらに3年後の1871年、ついに藩をなくします。
藩を無くして県を置く(東京・大阪・京都は府)「廃藩置県」です。
「廃藩置県」には旧藩主からの反発があったため、薩長土から募った「御親兵」という軍隊を使って「断行」します。
「断行」とあれば、日本史ではほぼ「廃藩置県」です。
「維新」とは「すべてのことが新しく改まる」という深い意味がある
明治維新の「維新」を辞書で引いてみると、「すべてのことが新しく改まること。
特に明治維新をさす。」とあります。
何気なく使っている「明治維新」という言葉ですが、この言葉にとても深い意味が含まれていることがわかりますね。
深い意味とは、「維新」=「すべてのことが新しく改まる」という点です。
時代はつねに変化を繰り返しながら巡っていくものですが、この時期だけは、すべての常識が短期間で覆る「激変」の時代なのです。
しかも制度や科学技術など目に見えるものだけでなく、価値観や思想、伝統、文化など国民の内面に関する部分までが、ほんの数年で変わってしまうことを意味します。
税制
例えば税制は、年貢米が普通だった江戸時代から現金で納める税に変わります。
ただしこれを実施するのも簡単なことではありません。
まず通貨の発行や通貨単位の統一が必要になりますし、地価を定めるために、土地の売り買いを認める必要もあります。
これらをすべて考えての税制改革「地租改正」が実施されたのです。
徴兵令
近代的な軍隊を作るために、「徴兵令」が出されます。
この法令も、当時の人々にとっては理解し難い法令でした。
江戸時代は、士農工商という身分制度があったため、戦いは武士の仕事でした。
その他の身分の人たちは、一揆防止の理由などから、武器などを取り上げられていたくらいです。
しかしこれからは「国民皆兵」が掲げられ、「血税」という言葉で表されました。
この制度のベースになったのは、幕末の長州藩が作った奇兵隊の発想です。
教育
教育についても、フランス式の最先端教育制度「学制」が発布され、「国民皆学」が打ち出されました。
基本的に江戸時代には、藩学や私塾などで学ぶ一部の武士や、寺子屋で読み・書き・そろばんを学ぶ商人の子などはいましたが、だれもが教育を受けるという発想自体がありませんでした。
それが明治に入って「学校行くことが当たり前」になるのですから戸惑いも大きかったでしょう。
しかもそこでは西洋の科学的内容を学ぶことになるわけですからね。
四民平等
その他、「四民平等」の方針が掲げられ、江戸時代までの武士の特権をなくしたり、職業選択や居住の自由などが身分問わず与えられたりしました。
日本は長く儒教を重んじてきました。
特に江戸時代は、儒教の中でもより上下関係を重んじる朱子学が中心だったので、すべてのものに「上下」があるのが当たり前という思想が色濃く、すべての人たちの根本的な考えになっていました。
ですから突然、西洋的な自由や平等の考え方が輸入されても、理解は難しかったと思います。
もともと無い概念を取り入れることは、ものの輸入よりもはるかに難しかったと考えられますね。
福沢諭吉の有名な言葉「天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず」も、「平等」なんて考えが微塵もない国民に、なんとか伝わるように考えて表現したものといえますね。
福沢諭吉は、「フリーダム」や「リバティ」という言葉に「自由」という言葉を充てた人物でもあります。
明治維新の勉強のコツ
日本史学習のコツは、当時の人々の心の動きを想像して、一つ一つの事例に感動しながら学ぶことです。
特に社会の全てのことが根本から刷新される「明治維新」については、より強く心を動かしながら学ぶ必要があります。
例えば「新橋~横浜間で鉄道が敷設された」ことは、現代の技術から見れば、無感動な事実として見えてしまうことかもしれません。
しかし当時の人々にとっては、現代人が宇宙へ行けるようになるくらいの驚きや感動があったと思います。
そしてそこから人々が取る行動や政府の思惑へとつながっていくと考えると、その時代の法令や事件、文化などが生まれた理由が見えてくると思います。
試験で良い点を取るために効率的に覚えることも大切です。
そのためにゴロ合わせや暗記学習、問題演習を取り入れることも必要になります。
しかしそれらは理解をより深めるための手段であり、目的ではありません。
「心を動かす学習」の中でそれらを取り入れた時、単なる無機質な丸暗記や機械的な解答作業ではなく、より深い学習となるのです。
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