国風文化の最大の特色は文学にあり!
「国風文化」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
日本史を勉強したことのある人は、なんとなく下の絵のようなイメージがあるのではないでしょうか。
髪の長い、所謂おたふく顔の女性が十二単を着ているようですね。
これは貴族の家の中を描いたものですが、かなり国風文化のイメージを忠実に反映していると言えます。
国風文化とは、一言で言うと貴族の文化。中でも、受験でよく問われるのは文学です。
文学の発展は、国風文化最大の特色であると言ってよいでしょう。
今回はそんな国風文化における文学について、解説を交えながら要点をまとめてみました。
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国風文化が生まれた理由とは?
国風文化とは、読んで字のごとく日本風の文化のことです。
わざわざ国風、と名付けたことには理由があります。
それは、飛鳥時代~奈良時代の文化は中国の真似をしていたということ。
遣隋使、遣唐使という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
これらは先進国である中国に派遣されて、政治や文化を学ぶ人達のこと。
古代の中国は皇帝が変わる度に国名が変わっていたため、「隋」と「唐」があるのです。
他にも、中国は宋になったり明になったり清になったりと複数回国名が変わるので注意しましょう。
飛鳥時代~平安時代初期まで、日本の最大の外交相手といえば中国でした。
中国は日本よりも遥に先進国で、日本は中国の真似をして発展してきたと言えます。
古代日本における中国との国交に関して「朝貢」という言葉が使われることがありますが、噛み砕いて言えば「中国という偉い国に対して日本が貢物をして、国交をさせて頂く」といったようなことです。
ですが894年、菅原道真の建議により、遣唐使は休止。
「白紙にしよう遣唐使」という語呂合わせが有名ですね。
その後唐は907年に滅びたため、遣唐使は再開されることなく自然消滅しました。
菅原道真の建議が受け入れられた理由ははっきりとはわかっていないのですが、
・唐が内乱で衰退しており、危険な上学べるところが少なくなっていた(実際唐は907年に滅亡)
・留学先環境の悪化
・日本の造船・渡航技術の低下により渡航中に遣唐使が死亡する危険性
などではないかと言われています。
さて、最も学んでいた、もとい真似をしていた中国からの最新情報がなくなった日本は、これまでの知識を活かして独自の発展を遂げます。
その中で生まれたのが国風文化です。
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国風文化における文学①~女性が執筆した作品~
国風文化における文学が発展した最大の理由として、かな文字の発達が挙げられます。
かな文字とは、漢字をやわらかく崩してできたものです。
漢字のことは「真名」と言うので、それに対して「仮名」というわけです。
漢字は公的な場で使われる文字です。この頃は男性が中心となって政治を進めていたため、
漢字=真名=男手(男文字)
かな文字=仮名=女手(女文字)
という認識でした。
かな文字によって、柔らかく、細やかな、所謂女性的表現が可能になり、伴って女性作者による文学が多く生まれました。
以下、古い順にまとめてみます。
・藤原道綱母『蜻蛉日記』(日記文学)
10世紀後半。
藤原兼家との結婚生活における愚痴や、兼家のもう一人の妻である時姫との争いを始め、和歌も多数掲載。
・清少納言『枕草子』(日記文学、随筆)
11世紀初頭。「春はあけぼの」で有名な四季の自然を記した段や、清少納言が仕えていた一条天皇の中宮定子との日々を綴った段などがある。
『源氏物語』は「もののあはれ」を描いていると言われたのに対し、『枕草子』は「をかし」を描いていると言われる。
よく「清少納言は賢さを自慢している」という指摘をされる。
・和泉式部『和泉式部日記』(日記文学)
11世紀初頭。
恋多き歌人であった和泉式部の恋愛模様が赤裸々に綴られている。
夫のいる和泉式部は為尊親王と恋をしていたが、為尊親王は若くして亡くなってしまう。
為尊親王との恋を咎められ父親からは勘当され、夫との仲も険悪に。失意の中、為尊親王の弟敦道親王から便りが届き、色々あって二人は恋仲に。
最終的に和泉式部は敦道親王に迎えられる…という現代の昼ドラでもびっくりの内容。
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・紫式部『源氏物語』(物語文学)
11世紀初頭。
光源氏の栄華と恋物語の第一部、出家を志す第二部、光源氏亡き後の子孫たちの奇妙な運命を描く第三部に分かれているとする説が有力。
紫式部は一条天皇の中宮彰子に仕えており、同じく一条天皇の中宮定子に仕えていた清少納言とはライバル関係であったと言われている。
・菅原孝標女『更級日記』(日記文学、回想録)
11世紀はじめ頃。
夫の死によるショックをきっかけに、作者の13歳~52歳頃についてをまとめて綴ったものとみられる。
少女時代は『源氏物語』を愛読していたという記述あり。
番外編
また番外編ですが、本当は男性作者なのに女性作者の体(てい)で書かれたかな文字作品に紀貫之『土佐日記』があります。
こちらは『蜻蛉日記』以前の作品で、紀貫之が国司として赴任していた土佐から都に帰京するまでの日々を日記調で書いたものです。
「をとこもすなるにきといふものを、をんなもしてみむとてするなり。」という冒頭は非常に有名ですが、これは「男の人もする(書く)という日記というものを、女である私もして(書いて)みようという訳でする(書く)のです」という意味です。
この「をんなもしてみむとて」の部分に「をんなもし」つまり「女文字=かな文字」という言葉遊びが隠されています。
お洒落ですね。
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国風文化における文学②~物語作品~
かな文字の発達は抒情的な表現を可能にし、多くの物語文学が生まれました。
「国風文化は貴族の文化」の言葉通り、物語も貴族の生活を描いたもの、また作者不詳のものが多いことが特徴です。
以下、国風文化における文学①~女性が執筆した作品~同様、古い順にまとめてみます。
・『竹取物語』(伝奇物語)
10世紀初頭、作者不詳。
言わずと知れた「かぐや姫」。
日本最古の物語として有名。
・『伊勢物語』(歌物語)
10世紀初頭、作者不詳。
ある男の元服から死までを描く。
物語の中に和歌を織り込む歌物語のスタイル。
作中の「男」は在原業平をモデルにしているという説が有力。『在五中将物語』とも。
・『宇津保物語』(伝奇物語)
10世紀半ば、作者不詳。
日本最古の長編物語。
貴族の教養のひとつであった琴(きん)をめぐる物語。
貴(あて)宮という絶世の美女である登場人物が有名。
・『落窪物語』
10世紀末、作者不詳。
美しい姫が、継母から畳の落ち窪んだ場所に住まわされるといういじめを受けるも貴公子と幸せに結婚する、という日本版シンデレラのような物語。
・『源氏物語』
解説省略。
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国風文化における文学③~和歌~
和歌においては、最初の勅撰和歌集である古今和歌集が編纂されたことは覚えておきましょう。
勅撰和歌集とは、天皇や上皇が編纂を命じた和歌集のことです。
「勅」の字は「教育勅語」や「勅令」など日本史においてはたびたび目にしますが、これが入っていたら天皇が関わっているんだなと思って下さい。
古今和歌集の編纂を命じたのは醍醐天皇、編纂にあたったのは紀貫之らです。
また、古今和歌集の序文には僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主という6人の代表的な歌人(六歌仙)の名前が記載されています。
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