「開国」とは何か詳しく解説します
「開国」とは文字からもわかるように、閉ざしていた国を開き外国との交流を持つようにする政策のことです。
日本は島国で、国を閉ざしている間は日本独自の文化が繁栄しやすいので、開国するという発想が出てきにくいものです。
ではなぜ、日本は200年以上続いた鎖国を解いてグローバル化の道を選んだのでしょうか。
そこで、開国を理解するためには次の3つのポイントを意識することが大切です。
<開国を理解するための3つのポイント>
A 幕府のジレンマ
B 鎖国時代との対比
C 攘夷運動の高まり
まず、外国が日本に接近してきたという“外からの圧力”について考えましょう。
日本がどんなに鎖国を続けたいと思っていても、外国が本気になったら抗うことは難しいですからね。
実際にロシア、イギリス、アメリカがそれぞれのやり方で日本にアプローチしてきます。
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ポイントA: 幕府のジレンマ
ポイントAは外からの圧力に対して幕府がどう対応するかという点にスポットを当てたものです。
どの程度強気で出るのが正しいのか、当時の幕府のジレンマを感じながら、各政策について理解していくと理解しやすくなります。
幕府は外国との関係だけでなく、国内からの批判にも目を向けなければならないので、一つ一つの判断に複雑な思いが見え隠れします。
ポイントB: 鎖国時代との対比
この時代を理解する上で、根幹となる最も大切な視点です。
“開国と鎖国”は“光と陰”の関係なので、「開国」が、「鎖国時代」という長く平和な時代を根底から覆すものであるということを常に意識した方がよいでしょう。
当時の人々にとって、外国という未知な存在を意識した時に、開国することがどれほど不安で、怖いものであったかを推察する必要があります。
『浦島太郎』のお話で、竜宮城から戻った浦島太郎は大きく変わってしまった村の様子に耐えかねて、開けてはいけない玉手箱を開けてしまいました。
未知なものや激し過ぎる変化に対して、怖れや不安を抱いて絶望してしまう1つの例ではないでしょうか。
「太平の 眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で 夜も眠れず」という当時の歌に、浦島太郎と同じような、当時の人々の不安な気持ちが表れています。
さらに、ポイントBを踏まえてポイントCについて考えてみましょう。
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ポイントC: 攘夷運動の高まり
接近する外国を恐れ、排除しようとする思いが形になったものが“攘夷運動”です。
諸藩の志士たちは、自らの手で日本の未来を作っていくという強い思いに駆り立てられ、本気で外国を排斥し、祖国を守ろうと立ち上がったのです。
しかし彼らの運動は、実際には外国には通用せず、徐々に攘夷が不可能であることを知っていきます。
開国までの流れ
1792 ロシアのラクスマンが、漂流民の大黒屋光太夫を根室に届ける
1804 ロシアのレザノフが、通商を求めて長崎に来航する
1808 イギリスの軍艦 フェートン号が長崎に侵入する
1825 異国船打ち払い令を出す
1837 アメリカ商船 モリソン号を打ち払う
1839 蛮社の獄 で高野長英、渡辺崋山らを処罰する
1840 アヘン戦争で清がイギリスに大敗する
1853 アメリカのペリーが浦賀へ来航する (ロシアのプチャーチンも)
1854 日米和親条約を締結する
1858 アメリカのハリスが日米修好通商条約を締結する(安政の五カ国条約)
1860 安政の大獄が起こる
1862 桜田門外の変が起こる
この年表は鎖国までの流れと同様、大学入試では必須のものです。
開国分野に限らず、日本史理解のコツは、無機質な暗記から脱却し自分の感情が動くような理解を心掛けることですから、前述した3つのポイントに沿ってそれぞれのできごとについて学ぶと良いでしょう。
◎3つのポイントで開国を考える
上の年表を、3つのポイントのAで考えてみましょう。
最初に日本にやってきたロシアに対しては、幕府は比較的強気に対応します。
ラクスマンには長崎への入港許可証を渡して帰し、その後、長崎にやってきたレザノフも冷たく追い返してしまいます。
その背景には、幕府が最上徳内らに命じて北方探検をさせ、ロシアを警戒していたことや、外国の本当の怖さを知らなかったことがあります。
しかしこの対応に怒ったロシアが、樺太や択捉島を攻撃したため、幕府は一気に弱気になっていきます。
その後、オランダの船を追ってきたイギリス軍艦フェートン号が傍若無人な振る舞いをします。
オランダ船が日本に逃げてきたのは、オランダが鎖国中の日本とヨーロッパで唯一貿易が許されていたからです。
そのような理不尽なイギリス船に対して、幕府が出した法令は、“薪水給与令”です。
少しずつ幕府が外国を恐れてきているのがわかります。
外国の怖さを知らない多くの人々は、幕府の弱気な策を批判します。
そこで幕府は1825年に「異国船打ち払い令」という、極端な法令を出します。
かなり揺れていますね。
しかし不幸にも、この法令が裏目に出ます。
漂流民を送り届けてくれたアメリカ商船モリソン号を、この法令で砲撃してしまうのです。
今度は、恩人ともいえる外国船を攻撃したことに批判が噴出します。
その批判に対しては「蛮社の獄」で強気に対応しますが、直後に起こったアヘン戦争で外国への恐怖心は最高潮に達します。
これまで常に日本よりも上の立場だった中国が、イギリスに簡単に敗れてしまったわけですからね。
弱気になった幕府は、急いで異国船打ち払い令をやめ、薪水給与令に戻しました。
このような背景の中で登場するのがペリーです。
老中の阿部正弘は、当然ペリーの要求を突っぱねることはできません。
強気な国内世論との間で難しい対応になります。
結局、翌年の日米和親条約で開国することを決めてしまいました。
開国がもたらした変化
幕府のジレンマとは裏腹に、日本は開国する道を選ぶことになりました。
このような中で、諸藩の志士たちは、幕府に頼らず外国を排斥しようと思うようになります。
いわゆる“尊王攘夷運動”です。
さらに弱さを見せた幕府に対する“倒幕”の考えも出てくるわけです。
大老の井伊直弼による「安政の大獄」に反発して起こった「桜田門外の変」は、その一端です。
いわゆる幕末の激動は、「開国」までの経緯と強く結びついているのです。
日本史学習のコツ
開国に限らず、日本史をより効果的に学習する方法は、「日本史=暗記科目」という先入観を捨て、「心を動かす学習」にシフトすることです。
今回のテーマである「開国」についても、単に「鎖国を解いたこと」で終わらせず、そこに関わる人たちの思いを常に頭に置いて、歴史が動いていく因果関係や偶然性のドラマに心を動かしながら学んでいくことが大切。
もちろん試験で良い点を取るために効率的に覚えることも必要。
そのためにゴロ合わせや暗記学習、問題演習を取り入れることも必要になります。
しかしそれらは理解をより深めるための手段であり、目的ではありません。
「心を動かす学習」の中でそれらを取り入れた時、単なる無機質な丸暗記や機械的な解答作業ではなく、より深い学習となるのです。
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